一ペトロ1章1節は、「離散」つまりステファノ殉教後の大迫害で散って行った(使徒言行録8章1節)エルサレム教会の信者の避難先としてアジア州を挙げる。主の御降誕の約四十年前カエサルは、ユダヤ人が固有の慣習を保持しながら不利なく市民生活を送れる権利を、エフェソ等の諸都市で保障していた。
(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3297
(注)別エントリー「試論:初代教会と箴言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5756
【追記】
主の御降誕の四十数年前カエサルはエジプト遠征で政敵ポンペイウスの勢力を打倒したが、かつてポンペイウスが聖所に侵入したことを恨んでいたユダヤ人の多くはカエサルに協力した。カエサルはユダヤ人に、エフェソを含む諸都市で安息日等の慣習を堅持したまま不利なく市民生活を送れる権利を確約した。
ローマの将軍ポンペイウスは神殿で大祭司しか入れぬ場所(レビ16章)に入り、ユダヤに衝撃が走った。ポンペイウスをカエサルが打倒し彼はユダヤ人に気前よく諸権利を与えたが、エジプトの女王を愛人としたことも含めて同胞から王様気取りだと疑われ、暗殺された。彼の死をユダヤ人は非常に悲しんだ。
紀元前63年ユダヤの内乱に介入して勝利したローマの将軍ポンペイウスは、エルサレムの神殿で大祭司しか入れない場所にまで入り、当時の異邦人には謎だったユダヤの神殿の実態が初めて知れ渡った。聖所に神像や神体の類は存在せず、机・純金の器・燭台・香料などがあった(出エジプト記25章以下)。