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試論:「現代の預言者」いるの?を140文字以内で

旧約時代には申命記18章15節以下の律法の通り、神が立てられた預言者には聞き従わなければならなかった。しかし使徒言行録21章でパウロは、アガボやフィリポの四人の娘など「預言」を行う人々の制止を振り切り、エルサレムへと出発した。キリスト教に旧約時代と同じ立場の預言者など存在しない。

【追記】

旧約の律法では王や大祭司も預言者に従う定めがあったがダニエル9章24節は「預言を封印するメシア」を預言し、ルカ21章22節の主の御言葉と紀元七〇年のエルサレム滅亡で、その預言は成就した。その後も当然「私的啓示」は続くが、決してそれらを旧約時代の「預言」と同じ扱いにしてはならない。

エレミヤ23章は、偽預言者が「託宣」を捏造し「わが民がわたしの名を忘れるように仕向ける」と、主なる神がお嘆きであることを記した。一ヨハネ4章も、キリストの弟子を自称する人々が、キリストについて沈黙する一方で世間的な事柄ばかり口にしているとして、「反キリストの霊」と呼んで非難した。

(注)別エントリー「試論:『偽預言者』と『もみ殻』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7600

エレミヤ23章25節以下は偽預言者の悪事を告発し、偽りの預言は人々に真の御言葉(御教え)を忘れさせるように仕向けるという点で、非常に悪質だと指摘した。これは、偽預言者はイエスについてなるべく触れようとせず世間のことばかり語ろうとするという一ヨハネ4章の記述と、完全に一致している。

「人を惑わす霊」は一ヨハネ4章6節に登場し、3節の「反キリストの霊」「イエスのことを公に言い表さない霊」と同じだが、4節の「偽預言者たち」を指している。「わたしたちから去って行った」「世のことを話す」「世は彼らに耳を傾ける」「キリストの教えにとどまろうとしない」などの特徴を持つ。

(注)別エントリー「試論;偽預言者の識別を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6118

古代のギリシア語訳エレミヤ書は、エレミヤを陥れようとしていた「預言者」たちを、偽預言者と呼ぶ。また古代のギリシア語訳ゼカリヤ13章2節は、神と民の両方から信用を失って排斥される「預言者」たちを、偽預言者と呼ぶ。その特徴は目先の利得追求が第一の、「貪欲」(マタイ7章15節)にある。

(注)別エントリー「試論:『偽預言者』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7106

(注)別エントリー「試論:偽預言者と滅亡を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5401

ダニエル9章24節はメシアについて預言の時代を封印する存在だと預言し、主はルカ21章22節で、(紀元七〇年の)エルサレム滅亡で旧約聖書の全預言が成就し預言の時代が終わると仰せになった。故に紀元七〇年以降の国際情勢と旧約聖書の預言は無関係で、関係ありとする強弁は主の御言葉に反する。

(注)別エントリー「試論:主イエスと旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7462

一ヨハネ4章の通り偽預言者や偽教師は、主イエスが実際に仰せになった福音書の御言葉には絶対に触れようとせず、代わりに「世」すなわち俗世間や国際情勢の話で置き換える。主イエス御自身が、預言とは御自分についてあかしするものだと仰せにもかかわらず、国際情勢や「終末預言」に話をすり替える。

二ペトロ2章は「偽教師」への警戒を呼びかけ、「彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にする」(3節)「昼間から享楽に耽るのを楽しみにする」(13節)「強欲」(14節)等と表現する。一般の信者が真面目に働いている時間帯に、連日のように臆面もなく美食を貪る者こそが偽教師である。

(注)別エントリー「試論:『終末預言?ありません』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13853

(注)別エントリー「試論:有人気球と『空中』の拡大を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10270

二ペトロ2章は「偽教師」への警戒を呼びかける。彼らは「滅びをもたらす異端を持ち込み、主を拒む」(1節)、「欲が深く虚言で人々を食い物にする」(3節)、「厚かましく、わがまま」(10節)「昼間から歓楽にふけるのを愉しみとする」(13節)「無意味な大言壮語」(18節)等の特徴を持つ。

二ペトロ2章は「偽教師」への警戒を呼びかけ、「彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にする」(3節)「昼間から享楽に耽るのを楽しみに する」(13節)「強欲」(14節)等と表現した。一般の信者が真面目に働く時間帯に美食を貪り、旅行・観光・娯楽施設と遊興三昧なのが偽教師である。

(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13267

(注)別エントリー「試論:現代人と旧約聖書の預言書を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19690