試論:洗礼者と二つの「火」を140文字以内で

マタイ3章11節で洗礼者ヨハネは、「聖霊と火」で来るべき方が洗礼をお授けになると教えた。11節の「火」は12節の「消えることのない火(=『永遠の罰』の象徴)」とは別のもので詩編105編19節や119編140節の通りに、火が金銀を精錬するかのように人間を清くする主の清い仰せを指す。

【追記】

ルカ12章49節「地上に火を投ずるためにわたしは来た」同3章16節「聖霊と火による洗礼」黙示録11章5節「口から火が出る預言者」エレミヤ5章14節「あなたの口に、わたしの言葉を授ける。それは火となり、この民を薪として焼き尽くす」同23章29節「わたしの言葉は、火に似ていないか」。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844

(注)別エントリー「試論:『御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19474

マタイ3章には来るべき方が「聖霊と火」で洗礼をお授けになるとあるが「火」とは「火が金属を精錬する如く人間を清くする主の清い仰せ」を指し詩編12編7節〜8節、66編10節、105編19節、119編140節、エレミヤ6章29節、ゼカリヤ13章9節、マラキ3章2節〜3節などが関連する。

(注)別エントリー「試論:口から火が迸り出る預言者を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5525

(注)別エントリー「試論:マルコ9章49節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5837