主イエスはマタイ5章17節で、御自分の到来の目的は律法や預言者を廃止するためではなく完成するためと仰せになった。ではどのように完成するのかを同7章12節では「あなたたちは、自分が他人からしてもらいたいことを、自分から他人にしなさい。これこそ律法と預言者〔の教え〕」と仰せになった。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「『旧約』の時代はいつの時点で終わったのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15210
【追記】
ヘブライ8章10節はエレミヤ31章33節の預言を引用し、神なる主が御自分の律法を人々の心に記されると、再確認する。マタイ7章12節「他人からしてもらいたいことを自分の方から他人にしなさい。これぞ律法」。キリストの律法は子供でも覚えられ理解もできるので「心に記す」と預言されている。
ヘブライ8章10節はエレミヤ31章33節の預言を引用して、神なる主が御自分の律法を人々の内面に書き記すことを再確認する。主イエスはマタイ7章12節で「他人からしてもらいたいことを自分の方から他人にしなさい。これこそ律法と預言者」と仰せになり、パウロはこれをキリストの律法と呼んだ。
主イエスはヨハネ5章39節で「あなた方は〔旧約〕聖書中に永遠の命が存在すると考え〔旧約〕聖書を研究するが〔旧約〕聖書はわたしに関してあかししている」と仰せになり、御自分と無関係の目的で〔旧約〕聖書を研究したとしても本当に重要な真理には全く到達することができないと、お教えになった。
主イエスは旧約聖書の預言に関して、第一義的に御自分及び御自分の到来前後の歴史的諸事件への言及であり(ルカ24章27節、同44節、ヨハネ5章39節)、エルサレム滅亡(紀元七〇年)で預言は全て成就すると仰せになった(ルカ21章22節)。旧約聖書は21世紀の国際情勢とは全く関係がない。
主イエスはマタイ7章12節で「あなたたちが他人からしてもらいたいと思うことは全て、あなたたちから他人にしなさい」と《愛の掟》を教えられて、「これこそ律法と預言者」と宣言された。これをパウロも「キリストの律法」(一コリント9章21節、ガラテヤ6章2節)と呼びモーセの律法と対比した。
主イエスはマタイ7章12節で、「自分が他人からしてもらいたいことを、あなたたちから他人にしなさい。これこそ律法であり、預言者の教え」と御教えを要約された。エレミヤ31章33節は「わたしの律法を彼らの心に記す」と預言する。キリストの律法はモーセの律法に比べ、驚くほど簡潔だが奥深い。
主イエスはマタイ5章18節で「天地」つまり神殿の聖所(詩編78編69節参照)が消え失せるまではモーセの律法も消え去ることがないと仰せになった。紀元六七年頃に殉教したパウロも死の少し前にヘブライ8章13節であと少しで旧約は無効になると記し、紀元七〇年の都と神殿の滅亡で現実となった。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541
(注)別エントリー「『ヘブライ人への手紙』が書かれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2286