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試論:マリアとヨセフの特別扱いを140文字以内で

【問】カトリックはマリアとヨセフを特別扱いしますが、なぜですか?【答】二人が「みどりごとして来られた神」を心と魂と力を尽くし(申命記6章5節)真心を込めて御養育することで、何十年もの間、神に対してまっすぐに向き合い、その結果として永遠の命に到達し後世の人々の模範となったからです。

(注)別エントリー「試論:最後の審判とイエスの両親を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15086

(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5246

(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1613

(注)別エントリー「試論:『ディカイオス』聖ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスの養父ヨセフはマタイ1章19節で「正しい人」と呼ばれるが、25章の「最後の審判」において「正しい人」は永遠の命が確約された人である。母マリアはルカ1章42節で「女の中で祝福された方」と呼ばれるが、マタイ25章34節では「祝福された人」は同じく永遠の命が確約された人である。

(注)別エントリー「試論:『神の母』聖書的根拠を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『親しき仲にも礼儀あり』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨセフはマリアに対し、「イエスのことばかりかまっていないで、あなたはわたしの妻なのだからたまには、イエスを放っておいてわたしの相手をしなさい」とは決して口にしなかった。イエスは神なる主であり、申命記6章5節は「心と魂と力を尽くして、あなたの神なる主を愛するように」と命令している。

(注)別エントリー「試論:『聖ヨセフの唯一の願い』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
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【問】カトリックでは、マリアとヨセフは一度も「ともに寝る」ことなく終生童貞であったと説きますが、二人はなぜそうしたのですか?【答】古代のイスラエルで最も重要な掟である申命記6章5節に鑑み、二人が幼子だった主イエス・キリストの御養育を最優先としたためです(ガラテヤ5章24節参照)。

(注)別エントリー「試論:聖母と聖ヨセフの終生童貞を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6397

(注)別エントリー「試論:聖母の終生童貞とルカ1章を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6772