一ヨハネ4章では、神に由来する真実なものと偽りのものとを見分ける基準を提供する。たとえ、その人がキリストの弟子を自称していようとも、世間の事柄ばかり話題にしてキリストに関連する事柄には極力触れようとせず、特にキリストの御言葉の中身には沈黙する人ならば、「反キリストの霊」と呼んだ。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:福音書からそれていくことを140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
エレミヤ23章は、偽預言者たちが「託宣」を捏造して「わが民がわたしの名を忘れるように仕向ける」と、主なる神がお嘆きであることを記した。一ヨハネ4章も、キリストの弟子を自称する人々がキリストについて沈黙する一方で世間的な事柄だけ語っていることを、「反キリストの霊」と呼んで非難した。
(注)別エントリー「試論:『偽預言者』と『もみ殻』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:偽預言者の悪質性を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:偽預言者と貪欲を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:偽預言者と滅亡を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論;偽預言者の識別を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネの第一の手紙の4章は「反キリストの霊」の特徴を説明している。神からの霊が主イエス・キリストの福音を解説するのに対し、人を惑わす霊は信仰を自称しつつ世界情勢(国際情勢・社会情勢)を好んで語る一方でキリストの福音の中身に関しては全く意を尽くすことなく沈黙する、という特徴を持つ。
(注)別エントリー「試論:預言解釈の基本を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主イエスを見失うこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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「反キリスト」はヨハネの手紙の一と二に登場し、
「わたしたちから去って行った」
「御父と御子を認めない」
「あなたがたを惑わせようとしている」
「イエス・キリストが人となって来られたことを公に言い表さない」
「世のことを話す」
「キリストの教えを越えて教えにはとどまらない」
等の特徴を有する。