(このエントリーでは、聖書ギリシア語は基本的にラテン文字転写して提示します。また、聖書の日本語訳は日本聖書協会『聖書』新共同訳によります)
◎黙示録17章9節
「この女が座っている七つの丘(orē)のことである」
日本聖書協会新共同訳聖書では、この箇所の原文のギリシア語“ορη – orē”、すなわち、“ορος – oros”について、「丘」という日本語訳を当てている。
それでは、このギリシア語“oros”が新約聖書の他の箇所に登場する場合、新共同訳聖書がどのような日本語訳を当てているのかについて、以下に全例で検証してみたい。
【新約聖書における全例をギリシア語本文と比較検討する】
◯マタイ4章8節
「悪魔はイエスを非常に高い山(oros)に連れて行き」
◯マタイ5章1節
「イエスはこの群衆を見て、山(oros)に登られた」
◯マタイ5章14節
「山(orous)の上にある町は、隠れることができない」
◯マタイ8章1節
「イエスが山(orous)を下りられると」
◯マタイ14章23節
「祈るためにひとり山(oros)にお登りになった」
◯マタイ15章29節
「山(oros)に登って座っておられた」
◯マタイ17章1節
「高い山(oros)に登られた」
◯マタイ17章9節
「一同が山(orous)から下りるとき」
◯マタイ17章20節
「この山(orei)に向かって」
◯マタイ18章12節
「九十九匹を山(orē)に残しておいて」
◯マタイ21章1節
「オリーブ山(Oros)沿いのベトファゲに来たとき」
◯マタイ21章21節
「この山(orei)に向かい」
◯マタイ24章3節
「イエスがオリーブ山(Orous)で座っておられると」
◯マタイ24章16節
「ユダヤにいる人々は山(orē)に逃げなさい」
◯マタイ26章30節
「オリーブ山(Oros)へ出かけた」
◯マタイ28章16節
「イエスが指示しておかれた山(oros)に登った」
◯マルコ3章13節
「イエスが山(oros)に登って」
◯マルコ5章5節
「彼は昼も夜も墓場や山(oresin)で叫んだり」
◯マルコ5章11節
「その辺りの山(orei)で豚の大群がえさをあさっていた」
◯マルコ6章46節
「祈るために山(oros)へ行かれた」
◯マルコ9章2節
「高い山(oros)に登られた」
◯マルコ9章9節
「一同が山(orous)から下りるとき」
◯マルコ11章1節
「オリーブ山(Oros)のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき」
◯マルコ11章23節
「だれでもこの山(orei)に向かい」
◯マルコ13章3節
「イエスがオリーブ山(Oros)で神殿の方を向いて座っておられると」
◯マルコ13章14節
「ユダヤにいる人々は山(orē)に逃げなさい」
◯マルコ14章26節
「オリーブ山(Oros)へ出かけた」
◯ルカ3章5節
「山(oros)と丘(bounos)はみな低くされる」
◯ルカ4章5節
「悪魔はイエスを高く引き上げ」
※原文のギリシア語“oros”に該当する日本語なし。
◯ルカ4章29節
「町が建っている山(orous)の崖まで連れて行き」
◯ルカ6章12節
「イエスは祈るために山(oros)に行き」
◯ルカ8章32節
「その辺りの山(orei)で」
◯ルカ9章28節
「祈るために山(oros)に登られた」
◯ルカ9章37節
「一同が山(orous)を下りると」
◯ルカ19章29節
「『オリーブ畑』と呼ばれる山(oros)のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき」
◯ルカ19章37節
「イエスがオリーブ山(Orous)の下り坂にさしかかったとき」
◯ルカ21章21節
「ユダヤにいる人々は山(orē)に逃げなさい」
◯ルカ21章37節
「夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山(oros)で過ごされた」
◯ルカ22章39節
「いつものようにオリーブ山(Oros)に行かれると」
◯ルカ23章30節
「人々は山(oresin)に向かっては」
「丘(bounois)に向かっては」
◯ヨハネ4章20節
「わたしどもの先祖はこの山(orei)で礼拝しましたが」
◯ヨハネ4章21節
「この山(orei)でもエルサレムでもない所で」
◯ヨハネ6章3節
「イエスは山(oros)に登り」
◯ヨハネ8章1節
「オリーブ山(oros)へ行かれた」
◯使徒言行録1章12節
「『オリーブ畑』と呼ばれる山(orous)からエルサレムに戻って来た」
◯使徒言行録7章30節
「シナイ山(orous)に近い荒れ野において」
◯使徒言行録7章38節
「シナイ山(orei)で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って」
◯一コリント13章2節
「山(orē)を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも」
◯ガラテヤ4章24節
「シナイ山(orous)に由来する契約を表していて」
◯ガラテヤ4章25節
「アラビアではシナイ山(oros)のことで」
◯ヘブライ8章5節
「山(orei)で示された型どおりに」
◯ヘブライ11章38節
「荒れ野、山(oresin)、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました」
◯ヘブライ12章20節
「山(orous)に触れれば」
◯ヘブライ12章22節
「シオンの山(orei)」
◯二ペトロ1章18節
「聖なる山(orei)にイエスといたとき」
◯黙示録6章14節
「山(oros)も島も」
◯黙示録6章15節
「洞穴や山(oreōn)の岩間に隠れ」
◯黙示録6章16節
「山(oresin)と岩に向かって」
◯黙示録8章8節
「火で燃えている大きな山(oros)のようなものが」
◯黙示録14章1節
「小羊がシオンの山(oros)の上に立っており」
◯黙示録16章20節
「山々(orē)も消えうせた」
◎黙示録17章9節〔再掲〕
「この女が座っている七つの丘(orē)のことである」
◯黙示録21章10節
「“霊”に満たされたわたしを大きな高い山(oros)に連れて行き」
【結論】
“ορος – oros”という聖書ギリシア語は、日本聖書協会の『聖書』新共同訳においては、ごく一部の例外を除き、「山」もしくは「山々」と日本語訳されているが、黙示録17章9節においてのみ、「丘」という訳語になっている。故意か偶然かはともかくとして、黙示録17章9節の「七つの丘」という日本語訳は明らかに誤訳であると判定できる。ルカ3章5節およびルカ23章30節との比較からも明らかな通り、黙示録17章9節における「七つの丘」という訳語は極めて不自然であると言える。
〔注〕別エントリー「七つの山々の都エルサレム」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/854