試論:マタイ9章35節「会堂」を140文字以内で

福音書の時代の会堂は確かに安息日ごとに人々が集まって〔旧約〕聖書が朗読される場だが、語源からは集会所を意味し実際に公民館的な施設で、祭儀は行われなかった。会堂長はあくまでも施設管理者に過ぎず司祭(神父)や牧師に相当する職ではなく、預言書の朗読を最後に担当する一般人が解説も行った。

(注)別エントリー「試論:教会と『会堂』の違いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15157

【追記】

ルカ4章で主イエスは、故郷ナザレの会堂でお話しされたが、古代ユダヤにおいて会堂は学びの場であり、会堂長は建物や聖書の巻物の管理者ではあったが、基本は信者同士が教え合うことで、七か所の聖書朗読に続く最後の預言書の解説も、学識に信用が置けると会堂長が判断した人々が担当する役割だった。

ルカ13章10節以下で主イエスがある会堂で教えておられた際、腰を長年患っていた女性を癒されたが、安息日に病人を癒したことに会堂長が立腹し議論になった。会堂が純粋に宗教施設であるなら「祈りの場で議論など、とんでもない」と人々は抗議したはずだがむしろ人々は、この議論を喜んで見ていた。

主イエスはヨハネ18章20節で大祭司の尋問に対し「わたしは世に向かって公然と話し、ユダヤ人が皆で集まる会堂や神殿で教えた」と仰せになり、会堂とはユダヤ人なら誰にでも門戸を開いた場所であり、特定の教派には属していない公民館的な性格の施設であることを踏まえて、お答えになっておられる。

(注)別エントリー「試論:テモテの割礼を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5097

ヨハネ11章は、大祭司と最高法院がイエスには死んでもらうと決定した(49節以下)後、公然と主イエスが宣教生活を行うことはなくなったと記す(54節)。しかしその初期にはマタイ9章35節の通り「町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気や患いを癒やされた」。