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試論:「腹を立ててはならない」を140文字以内で

主はマタイ5章22節で「腹を立ててはならない」と教えられた。ヤコブ1章20節は「人の怒りは神の義を実現しない」と記し、19節は「だれでも聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのに遅いようにしなさい」2章13節では「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下される」と警告している。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

エフェソ4章の後半では、「神にかたどって造られた新しい人」として生きるために、「怒ることはあっても罪を犯してはならない」「日が暮れるまで怒ったままではいけない」「悪い言葉を一切口にしない」「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどの全てを、一切の悪意とともに捨てる」等を勧めている。

マタイ22章の「礼服」に関連して、ローマ13章14節で「主イエス・キリストを着る」ことをパウロは勧め、コロサイ3章10節でも「主の姿に倣う新しい人を着る」ことを勧める。「倣う=着る」べきものとして憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容そして愛を「着る」ことをコロサイ3章は勧めている。

箴言28章14節は「いつも気を配っている者は幸いであるが、周囲に厳しい者は苦難に陥る」と記し、神に対しても隣人に対してもどんな物事に対しても注意深く慎重に接する人はそうそう困難に遭うことはないが、万事に頑固で当たりの強い者はそれだけ様々な面倒事に巻き込まれ易いものだと説いている。

マタイ6章14節〜15節「あなたがたが人を容赦するなら天の父もあなたがたを容赦されるが、あなたがたが人を容赦しないなら天の父もあなたがたを容赦されない」は同5章7節「憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受ける」などと、表現を変えながら福音書の随所に登場する、重要事項である。

(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4346

マタイ9章14節ではヨハネの弟子たちが主イエスに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのかと問う。その前の13節で主は「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」とホセア6章6節を引用されて相手に答えられた。その節は「神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」と続く。

箴言11章28節「憐れみの道にこそ命がある。この道を行く人に死はない」ルカ6章35節以下「敵に親切にし、善を行い、何も当てにせず貸しなさい。そうすれば、あなたたちはいと高き方であられる天の御父の子となり、大きな報いを受ける。あなたたちも天の御父のように憐れみ深い者になりなさい」。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11244

(注)別エントリー「試論:『第二の死』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5334