コリントの信徒への手紙一」カテゴリーアーカイブ

試論:バシレイア(=神の王国)を140文字以内で

主イエスはヨハネ18章36節で、「わたしのバシレイアは、この世には属していない」と仰せになった。原文のギリシア語バシレイアは、聖書では「王権」「〔神の〕王国」を意味し、「王国の一人一人」まで包含する。黙示録1章6節でヨハネは、自分たちは既にその一部を構成していると書き記している。

(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3297

【追記】

黙示録20章やローマ5章は「悪に悪を返さない」ことを徹底して罪や悪と決別した人々を「バシレウオ(〔キリストとともに〕王となる)」という動詞で表すが、これはあくまで《義化の完成》を象徴する表現であり政治体制的な意味を含まず、彼らは「第二の死」を免れ「永遠の命」を得ると記されている。

(注)別エントリー「試論:『第二の死』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5334

(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5427

(注)別エントリー「試論:黙示録20章の最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5433

一コリント4章8節でパウロはコリントの人々に、《あなた方は教会を意のままに差配して誇っているが、どうかキリスト教の本分「罪と死の支配からの自由」を心がけ永遠の命に至る努力を日々怠らぬように。それならわれわれも福音宣教が実を結んだと主に認められて永遠の命に至るのに》等と書き送った。

(注)別エントリー「試論:真理は何から自由にする?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8886

(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7823

ヘブライ2章13節以下は、御父が御自分に委ねられた者たちが人間である以上、御子も神のままで神であられながら人間の肉体と魂を担われたが、それは悪魔の罪と死の支配から人々を解放するためと記す。マリアの賛歌は神が人間の肉体と魂を担われた事実を「偉大なこと」(ルカ1章49節)と表現した。