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試論:「大バビロン」を140文字以内で

【問】なぜ黙示録では、エルサレムが「大バビロン」と呼ばれましたか?
【答】バビロン捕囚から解放されたユダヤ人は、失ったも同然の信仰を回復するためエルサレムに帰り、神殿を再建しました。ところが約五百年後、神殿の人々は救い主を殺すことによって信仰を失っていたバビロン時代へ逆行しました。

(注)別エントリー「試論:『大淫婦』の正体を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15895

(注)別エントリー「試論:大祭司アンナスを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16079

(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1962

(注)別エントリー「試論:『アンナス二世』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15414

【追記】

主イエスはヨハネ8章15節で「あなたたちは肉に従って裁く」と仰せになった。ヨハネ福音書は人間的な事柄を「肉」、神に由来する事柄を「霊」と呼び対比する。ヘロデ王家は自分たちに同調する祭司へ大祭司の権力と富を与え籠絡していた。福音書における神殿の有力者たちの堕落はそれが原因であった。

(注)別エントリー「試論:『肉と霊』の対比を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7740

(注)別エントリー「試論:ガラテヤ5章の『肉と霊』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7657

(注)別エントリー「試論:聖書と『肉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7649

ヨハネの黙示録17章5節には「淫婦の母、地上のあらゆる憎むべきものの母である大バビロン」と書かれているが、ゼカリヤ書2章11節では、エルサレムの住民が「バビロンの娘」という表現で呼び掛けられている。当時のエルサレムの住民は、かつてバビロンに連行されて住み着いた人々の子孫であった。

(注)別エントリー「試論:『売買できぬようにした』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17376

(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1699

〔注〕別エントリー「七つの山々の都エルサレム」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/854