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聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察

主イエス・キリストの養父ヨセフについて、マタイ福音書1章19節は「ディカイオス(δίκαιος – dikaios)」というギリシア語で表現しているが、このギリシア語は通常、日本語訳では「義人」や「正しい人」などと表現されている(このエントリーでは、ギリシア語は適宜ラテン文字転写して表記する)。

同じマタイ福音書の23章35節ではアベル(創世記4章で兄カインに殺害された、アダムとエバの次男)についても、同じく「ディカイオス(dikaios)」というギリシア語で表現されている。

◎マタイによる福音書1章19節(フランシスコ会聖書研究所訳)
「マリアの夫ヨセフは正しい人(dikaios)で、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した」

◎マタイによる福音書23章35節(フランシスコ会聖書研究所訳)
「こうして、正しい人(dikaios)アベルの血から、あなた方が聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカリヤの血に至るまで、地上で流された正しい人(dikaiou)の血はすべて、あなた方の上に降りかかる」

そこで、主イエス・キリストの養父ヨセフについて考察するにあたり、ヨセフの人となりを端的に表現しているこの「ディカイオス(dikaios)」というギリシア語の用例を詳しく調べることこそ、最も重要であると考えられる。

とりわけ、マタイ福音書が執筆される以前の聖書世界において、主イエス・キリストの御降誕以前の二百数十年間、このギリシア語がどのような意味合いで用いられていたのかが重要であるため、古代のギリシア語旧約聖書中の具体的な用例を深く考察しておくことが不可欠である。

ここからは、「正しい人」と訳されることの多い、このギリシア語のもろもろの用例を適宜、七十人訳ギリシア語旧約聖書の中から提示していく。

(以下の聖書の日本語訳は、特に注記する場合を除いて、フランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』によります)

【1】箴言

・箴言3章33節
「主の呪いは悪人の家に留(とど)まるが、その祝福は正しい人(dikaiōn)の住まいに留まる」

・箴言10章3節
「主は正しい(dikaian)者を飢えさせず、悪者の願いを退けられる」

・箴言10章6節
「祝福は正しい者(dikaiou)の頭(こうべ)に宿るが、悪者の口には暴虐が潜んでいる」

・箴言10章11節
「正しい者(dikaiou)の口は命の泉。しかし、悪者の口には暴虐が潜んでいる」

・箴言10章16節
「正しい者(dikaiōn)の報酬は命に、悪人の収入は罪に至る」

・箴言10章21節
「正しい者(dikaiōn)の唇は多くの人を養う。しかし、愚か者は思慮に欠けているので死ぬ」

・箴言10章24節
「悪者の恐れていることは、その身に降りかかり、正しい者(dikaiou)の望んでいることはかなえられる」

・箴言10章25節
「悪者はつむじ風が過ぎようとする時、消え失せる。しかし、正しい人(dikaios)は永遠の礎(いしずえ)」

・箴言10章28節
「正しい人(dikaios)の望みは栄える。しかし、悪者の期待は潰(つい)える」

・箴言10章30節
「正しい人(dikaios)は決して揺らぐことがない。しかし、悪者はこの地に住みつくことができない」

・箴言11章8節
「正しい人(dikaiois)は苦悩から救い出され、彼に代わって悪者が、それに陥る」

・箴言11章9節
「不敬な者は、その口によって隣人を滅ぼすが、正しい人(dikaiōn)は、その知識によって彼らを救う」

・箴言11章19節
「真に正しい人(dikaios)は命に至り、悪を追い求める者は死に至る」

・箴言11章31節
「正しい人(dikaios)がこの地上で正当な報いを受けるなら、悪人や罪人はなおさらである」

・箴言12章10節
「正しい人(dikaios)は、自分の家畜の命に気を配る。しかし、悪者の同情心は残忍である」

・箴言12章13節
「悪人はその唇によって罠に陥る。しかし、正しい人(dikaios)は、その窮地から逃れる」

・箴言12章26節
「正しい人(dikaios)は不運を逃れるが、悪者の道は彼らを邪道に導く」

・箴言13章5節
「正しい人(dikaios)は偽りを憎むが、悪者は恥と辱めをまき散らす」

・箴言13章9節
「正しい人(dikaiois)の光は照り輝き、悪者のともしびは消える」

・箴言13章21節
「悪は罪人を追いかけ、善は正しい人(dikaious)に伴う」

・箴言13章25節
「正しい人(dikaios)は食べて満足するが、悪者は腹をすかす」

・箴言14章32節
「悪い者はその悪によって打ち倒され、正しい者(dikaios)はその正しさに確信をおく」

・箴言15章28節
「正しい者(dikaiōn)の心はどう答えるかを思い巡らすが、悪者の口は悪態をつく」

・箴言15章29節
「主は悪者から遠ざかり、正しい者(dikaiōn)の祈りを聞き入れられる」

・箴言18章10節
「主の名は堅固な櫓(やぐら)。正しい者(dikaioi)はそこに避難して助かる」

・箴言21章26節
「悪者は一日じゅう、物を欲しがる。しかし、正しい人(dikaios)は惜しみなく与える」

・箴言24章16節
「正しい人(dikaios)は七たび倒れても、また起き上がる。しかし、悪者はつまずいて滅びる」

・箴言28章1節
「悪者は追いかける者がいないのに逃げる。しかし、正しい人(dikaios)は若い獅子のように頼もしい」

・箴言28章12節
「正しい者(dikaiōn)が支配する時には、大きな喜びがある、悪者が権力をふるうと、人々は身を隠す」

・箴言29章2節
「正しい人(dikaiōn)が治めると、民は喜び、悪者が支配すると、民は嘆く」

・箴言29章6節
「悪人の道には罠がある。しかし、正しい人(dikaios)はそれを逃れて喜ぶ」

・箴言29章7節
「正しい人(dikaios)は、貧しい者の訴えを理解するが、悪者は、それを理解しない」

・箴言29節16節
「悪者が治めると罪悪も増す。しかし、正しい人(dikaioi)は彼らの滅びを見る」

【2】詩編

・詩編1編6節
「正しい者(dikaiōn)の集いは主に守られ、悪い者の道は滅びに至る」

・詩編34(33)編16節
「主の目は正しい者(dikaious)に注がれ、その耳は彼らの叫びに傾けられる」

・詩編34(33)編18節
「正しい者(dikaioi)が叫ぶとき、主は聞き入れ、すべての悩みから救い出される」

この詩編34(33)編は、新約聖書の次の箇所で引用されている。

・ペトロの第一の手紙3章12節
「主の目は正しい人(dikaious)に、主の耳は彼らの祈りに、しかし、主の顔は悪を行う者にきびしく向けられる」

・詩編37(36)編17節
「悪い者の腕は折られるが、正しい者(dikaious)は主に支えられる」

・詩編37(36)編21節
「悪い者は借りても返さず、正しい者(dikaios)は憐れんで施す」

・詩編37(36)編30節
「正しい者(dikaiou)の口は知恵をつぶやき、舌は正しいことを語る」

・詩編37(36)編39節
「正しい者(dikaiōn)の救いは、主から来る。主は悩みの時の逃れ場」

・詩編55(54)編23節
「あなたの重荷を主に委ねよ。主は支えてくださる。主は正しい人(dikaiō)が揺らぐのを決して許されない」

・詩編64(63)編11節
「正しい者(dikaios)は主の故に喜び、主のもとに逃れる。心のまっすぐな者はみな誇る」

・詩編75(74)編11節
「わたしは悪い者の角をことごとく折る。正しい者(dikaios)の角は高く上げられる」

・詩編112(111)編6節
「正しい者(dikaios)は永遠に揺るがず、とこしえに記憶される」

【3】ヨブ記

・ヨブ記36章6節~7節
「神は悪人を生かしておかれず、虐げられている者を正しく裁いてくださいます。正しい者(dikaiou)から目をそらされることなく、彼らを王たちとともに王座につかせ、永久に高められます」

【4】知恵の書

・知恵の書2章18節
「もしも義人(dikaiōs)が神の子なら、神は彼を助け、敵の手から救い出すに違いない」

・知恵の書3章1節
「しかし、義人(dikaiōn)の魂は神の手にあり、どんな責め苦も彼らに触れることはない」

・知恵の書4章7節
「義人(dikaios)は若死にしても、憩いを得るであろう」

・知恵の書5章15節
「しかし義人(dikaioi)は永遠に生きる。彼らの報いは主のうちにあり、彼らはいと高き方の配慮にあずかる」

・知恵の書12章19節
「あなたは、これらの業を通して、あなたの民に、義人(dikaion)は人に親切でなければならないことを教え、またあなたは、罪を悔い改める恵みが与えられる希望を、あなたの子らに抱かせた」

【5】シラ書

・シラ書44章17節
「ノアは全(まった)き義人(dikaios)として認められ、怒りの時には身代わりとなった。洪水が襲った時には、彼のお陰で、地上に生き残った者がいた」

【6】創世記

・創世記6章9節
「ノアの物語は次のとおりである。ノアは当時の人々の中で正しく(dikaios)、かつ非の打ち所のない人であった。ノアは神とともに歩んだ」

・創世記7章1節
「主はノアに仰せになった、『お前とお前の家族はみな箱船に入れ。お前だけが今の世代にあって正しい(dikaion)とわたしは見たからである』」

【7】イザヤ書

・イザヤ書3章10節
「義人(dikaion)に告げよ。彼らは幸福だ、と。まことに、彼らは自分の行いの実を食べる」

【8】エゼキエル書

・エゼキエル書18章5節~9節
「定めと義を実践する義人(dikaios)がいるとする。山の上で食事せず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を辱めず、生理中の女性に近づかない。人を抑圧せず、負債者の担保を返却する。強奪せず、飢えた人にはパンを与え、裸の人に衣服を与える。また利息を天引きせず高利も取らず、不正から手を引き、係争中の人間を正しく裁く。わたしの掟に従い、わたしの法を守って忠実に行う。このような人こそが義人(dikaios)であり、命を得る──主なる神の言葉」

【9】ホセア書

・ホセア書14章10節
「知恵ある者はこの言葉を語り、賢き者はこれを知れ。主の道はまっすぐで、正しい者(dikaioi)はこれを歩む。しかし、罪人(つみびと)はこれにつまずく」

【10】ハバクク書

・ハバクク書2章4節
「正しい人(dikaios)はその誠実さによって生きる」

このハバクク書2章4節は、新約聖書の複数の箇所で引用されている。

・ローマの人々への手紙1章17節
「『正しい人(dikaios)は信仰によって生きる』と記されている通りです」

・ガラテヤの人々への手紙3章11節
「律法によって誰も神の前で義とされないことは明らかです。『正しい人(dikaios)は信仰によって生きる』からです」

・ヘブライ人への手紙10章38節
「正しい人(dikaios)は信仰によって生きる。もし彼がわたしから遠ざかるなら、彼は、わたしの心にかなわない」

(追記)

新約聖書のヤコブの手紙には、次のように書かれている。

・ヤコブの手紙5章14節〜16節
「あなた方のうちに、病人がいるなら、その人は教会の長老たちを呼び、主の名によって油を塗って祈ってもらうようにしなさい。信仰による祈りは、病人を救います。主はその人を立ち上がらせ、もし、その人が罪を犯しているなら、その罪は赦(ゆる)されます。あなた方が癒(い)やされるために、互いに罪を告白し、そして祈り合いなさい。正しい人(dikaiou)の祈りには大きな力があり、効果があります」

マタイ福音書1章19節で確かに聖ヨセフが「正しい人」と表現されている以上は、ヤコブの手紙5章16節の「正しい人」に聖ヨセフを重ね合わせて考えたとしても、決してそれが誤りであるとは言えるはずなどないのである。