【問】箴言8章12節「知恵は熟慮と共に住む」とは?
【答】主イエスはルカ7章35節で「知恵」を称されましたが、養父ヨセフは婚約者の妊娠に際し熟慮して安易に相手を裁くことをせず、母マリアも羊飼いの訪問やシメオンの預言、御子が十二歳時の神殿での出来事等についてその意味を深く考えました。
(注)別エントリー「試論:『知恵』としての主イエスを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『知恵』を自称された理由を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『婚約者の妊娠』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
箴言15章28節「神に従う人は、神の御旨に応えようと思いを巡らす」ルカ2章17節〜19節「羊飼いたちは幼子について天使たちが話したこととベツレヘムで見た光景とを人々に知らせた。羊飼いたちの話を聞いた者は、皆、不思議に思ったが、マリアは全ての出来事を心に納めて、思い巡らしていた」。
(注)別エントリー「試論:聖書と洞穴を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主のはしため』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主のはしため』(旧約)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『わたしは主のはしため』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主の超自然的な御降誕』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
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ルカ2章は聖母が幼子を飼い葉桶に寝かせたと記す。御降誕の洞穴には聖母を乗せて来たろば以外に牛も一頭いたと考えられる。イザヤ1章3節に「牛やろばも飼い主や飼い主の飼い葉桶を知っているのに、わが民イスラエルはわたしを知らず見分けようともしない」と、主の嘆きが預言されているからである。
(注)別エントリー「試論:聖書と『ろば』を140文字以内で」も参照のこと。
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出エジプト記24章にモーセ一行が「神を見た」とあるが、実際に御姿を見たわけでなく、足台を見たことによって上におられる神を「見た」のである。「心の清い人は幸いである。その人は神を見る」の「見る」も認識するという意味を含むが御降誕の夜、羊飼いたちはマリアやヨセフと実際に、御姿を見た。
(注)別エントリー「試論:ヘブライ人の『神を見る』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『御父をお示しください』を140文字以内で」も参照のこと。
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