救い主は「復活と命」(ヨハネ11章25節)つまり御自分の「復活の体」の創造と共に「新しい天・地・エルサレム」を創造し、全人類を罪から救って、永遠の命(天国の福楽)へ導かれる方である。しかしサドカイ派は復活を否定していた(マタイ22章23節)。洗礼者が「蝮の子ら」と呼ぶ理由である。
(注)別エントリー「試論:新都エルサレムの『用意』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16763
(注)別エントリー「主の御復活とともに創造された事柄とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15917
【追記】
主イエスのファリサイ派批判で最も多いのはマタイ23章3節の通り「建前は立派でも中身は〜」だが、神殿の有力者たちの仲間であるサドカイ派は、復活を否定するなど、主イエスとは建前からして違った。来世について考えることをしない彼らはおのずと現世志向であり、既得権益の維持に汲々としていた。