サムエル下7章16節を根拠にダビデの子孫から救い主が現れると考えられていた。途中エコンヤ(マタイ1章11節。エレミヤ22章24節の「コンヤ」)の時代にエレミヤの預言で、ダビデへの預言の約束は無効にされたと思われたが、ハガイ2章の預言はゼルバベル(マタイ1章12節)を再び指名した。
【追記】
捕囚からの帰還後ハガイとゼカリヤは総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアへの祝福を預言し、ハガイは特にゼルバベルの「選び」を最後に語るが、ゼカリヤ6章11節では「戴冠」するのはヨシュア一人となる。中世以降のユダヤ教の立場ではゼルバベルの「役割」は不明瞭だがキリスト教の立場では明白である。
ペルシア王によるバビロン捕囚からの解放後、神殿再建を目的にユダヤ人たちはエルサレムに帰還したが、ダビデ王の末裔としてゼルバベルが総督に任命されたとはいえ、総督はかつての「王」に相当する立場ではなく、彼はあくまでペルシア王国の官僚の一人に過ぎず、ユダヤ民族の代表者は大祭司となった。
ハガイ書の最後がゼルバベルの特別な「選び」を預言したにもかかわらず、かつての「王」としての立場までは復帰できぬままゼルバベル本人は歴史の表舞台から姿を消し、彼の子孫からもこれと言った著名人が出せぬままに約五百年が過ぎた。しかし長年その到来が待たれていた救い主はそこから登場された。