【問】ガラテヤ5章13節「この自由を、肉に罪を犯させる機会とはせずに」の意味とは?
【答】「自由」とは洗礼による罪と悪の支配からの解放つまり罪の赦しを指し、「『洗礼を受けた自分は全てが赦されている』と勘違いしてはならない」という意味です。洗礼は「洗礼後に犯した罪」を正当化しません。
(注)別エントリー「真理は罪と悪と死から自由にする」も参照のこと。
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【追記】
【問】ローマ13章14節「肉に心を用いてはならない」の意味は?
【答】パウロやヨハネはしばしば神に由来する事柄を「霊」、人間に由来する事柄を「肉」と呼び対比させています。主イエスはルカ8章14節で「御言葉を聞いても人生の思い煩いや富の誘惑が心を占めている」状態を警告されていました。
(注)別エントリー「試論:『肉と霊』の対比を140文字以内で」も参照のこと。
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ガラテヤ5章16節以下では「肉と霊」が対比されるが、ここで「肉」はヨハネ1章14節同様に「人間」を指し、「霊」は「聖霊」「神の霊」を意味する。つまりガラテヤ5章の「肉」と「霊」との対立とは、「人間に由来する諸悪」(マルコ7章20節以下参照)と「神に由来する諸徳」の対立を意味する。
(注)別エントリー「試論:聖書と『肉』を140文字以内で」も参照のこと。
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多くの人が黙示録20章の記述を誤解し、キリストと共に世を支配する「千年王国」を夢見たが、他方ヨハネ18章36節で主は御自分の王国(バシレイア)は世に属さないと確言された。「王」(マタイ25章34節)であるキリストと共に支配するとは、悪魔の罪と死による支配から自由になることである。
(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:黙示録20章の最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
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