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試論:「正しい人でもやっと〜」を140文字以内で

主の養父はマタイ1章19節でディカイオス(正しい人)と紹介される。一ペトロ4章18節には「ディカイオスでもやっと救われるなら〜」とある。「やっと(ようやく)」を意味するギリシア語を使徒言行録27章は三度用い航海の際の難儀を表す。正しい人でも大きな困難や労苦や忍耐を経て救いに至る。

(注)別エントリー「試論:『神の養父』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

マルコ12章では、主イエス・キリストと一人の律法学者との対話で、申命記6章の「唯一の主」の掟とともに、レビ記19章18節の「隣人愛」の掟が二回(マルコ12章31節、33節)言及されている。マタイ7章12節でも主は「これこそ律法と預言者」と仰せになり、最も重要な掟であると示された。

(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5246

(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『ディカイオス』聖ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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ヨセフはマリアに対し、「イエスのことばかりかまっていないで、あなたはわたしの妻なのだからたまには、イエスを放っておいてわたしの相手をしなさい」とは決して口にしなかった。イエスは神なる主であり、申命記6章5節は「心と魂と力を尽くして、あなたの神なる主を愛するように」と命令している。

(注)別エントリー「試論:聖母と聖ヨセフの終生童貞を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖母の終生童貞とルカ1章を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】カトリックでは、マリアとヨセフは一度も「ともに寝る」ことなく終生童貞であったと説きますが、二人はなぜそうしたのですか?【答】古代のイスラエルで最も重要な掟である申命記6章5節に鑑み、二人が幼子だった主イエス・キリストの御養育を最優先としたためです(ガラテヤ5章24節参照)。

(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『聖ヨセフの唯一の願い』を140文字以内で」も参照のこと。
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