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試論:主の両親が口にしない言葉を140文字以内で

主イエスの御養育に当たり、ヨセフとマリアの二人がまず絶対に口にはしなかったであろう言葉がある。それは「あなたは神の子なのだから、わたしたちが助けなくともできるはずだ」の類いで、なぜならそれは荒れ野で誘惑したサタンや十字架の周りで嘲っていた敵たちに特有の悪意を含んでいるからである。

(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665

(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199

(注)別エントリー「隣人愛の反対は理由なき悪意そして憎しみ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1982

【追記】

マタイ4章で荒れ野におられる主の前に現れた悪魔は、「神の子なら、石がパンになるように命じたらどうだ」「神の子なら、飛び降りたらどうだ」「わたしを拝むなら、すべてを与えよう」などと主を誘惑したが、御受難の際に主を侮辱した多くの人々も、例外なく荒れ野の悪魔と同じような口振りであった。

(注)別エントリー「悪に巻き込まれないためにどうすべきか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4814

(注)別エントリー「レビ記19章17節:理由のない悪意」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4826

【問】カトリックはマリアとヨセフを特別扱いしますが、なぜですか?【答】二人が「みどりごとして来られた神」を心と魂と力を尽くし(申命記6章5節)真心を込めて御養育することで、何十年もの間、神に対してまっすぐに向き合い、その結果として永遠の命に到達し後世の人々の模範となったからです。

(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5246

(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1613

(注)別エントリー「試論:『ディカイオス』聖ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスの養父ヨセフはマタイ1章19節で「正しい人」と呼ばれるが、25章の「最後の審判」において「正しい人」は永遠の命が確約された人である。母マリアはルカ1章42節で「女の中で祝福された方」と呼ばれるが、マタイ25章34節では「祝福された人」は同じく永遠の命が確約された人である。

(注)別エントリー「試論:『神の母』聖書的根拠を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13155

(注)別エントリー「試論:『親しき仲にも礼儀あり』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13120