試論:「ノアの時と同じだから」を140文字以内で

主イエスはマタイ24章37節で「人の子が来るのは、ノアの時と同じだから」と仰せになった。ここで主が暗示された事柄とは、創世記6章5節の「地上に悪が増して、常に悪いことばかり心に思い計っている」の箇所である。マタイ24章10節「多くの人が罪の状態に陥り裏切りと憎しみの中で生きる」。

(注)別エントリー「一人は連れて行かれ、他の一人は残される」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19893

(注)別エントリー「戦争と飢餓:ある意味で実戦よりも残酷な」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4744

(注)別エントリー「ダニエル9章の『七十週』預言」【再投稿】も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18148

【追記】

主イエスはルカ21章25節で都の滅亡(紀元七〇年)の前後に「地上では海が荒れ狂う」と仰せになった。古代のヘブライの世界観で「海」とは、あらゆる罪や咎の集積する空間(ミカ7章19節)である。「地上」の「地」とは「イスラエルの地」(エゼキエル7章2節)で、ユダヤの無法状態を暗示する。

(注)別エントリー「試論:『地上では海が荒れ狂う』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12775