試論:「ラッパを吹き鳴らすな」を140文字以内で

主イエスはマタイ6章2節で「憐れみの業を行う際に、自分の前でラッパを吹き鳴らすな」と仰せになった。聖書で「ラッパ」は、しばしば神の威厳に満ちた御声による仰せの比喩だが、主はここで、神のお告げのような仰々しい物言いで自己宣伝する行為や相手に対する恩着せがましい態度を戒めておられる。

【追記】

黙示録1章10節や4章2節は、ラッパのように響く大声という表現を用いる。1章ではヨハネが声の主(ぬし)を確かめようと振り向き「顔は強く照り輝く太陽のようであった」(16節)ことで「主の変容」を思い出し、主の「天上の体」を目撃する。ラッパは神の威厳に満ちた力強い御声のたとえである。

(注)別エントリー「試論:『主の変容』と御復活を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14552

古代のギリシア語旧約聖書は「角笛」(新共同訳)と訳されるヘブライ語に対して、新約聖書本文中で「ラッパ」(新共同訳)と訳されるギリシア語を、当てている。ヘブライ12章19節で言及される「ラッパ」はシナイ山の出来事と関連し、出エジプト19章や20章で言及される「角笛」に対応している。

主イエスの「善きサマリア人のたとえ」で、サマリア人は「傷に油とぶどう酒を注ぎ包帯をして、宿屋に連れて行って介抱した」(ルカ10章34節)。さらに、その後のことを宿屋の主人に依頼しておくのも忘れなかった。自分の手に負える範囲を超える際には他人の手を借りる方が良い場合も当然あり得る。

(注)別エントリー「試論:『善きサマリア人』の教訓を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6827