【問】なぜ主イエスはマルコ3章で奇跡を行われる前に、「命を救うことか、殺すことか」と問いかけられましたか?
【答】申命記30章15節の通り、「命」とは幸福と同義語であり、「死」は災いや不幸と同義語でした。安息日に相応しい行いは隣人を幸福にすることではないかと主は問いかけられました。
(注)別エントリー「試論:神は、生きている者の神?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
【問】マタイ22章32節「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神」の意味は?
【答】エレミヤ21章8節の通り、旧約の民にとって神なる主の御意向に従うことは「命の道」、主の御意向に逆らうことは「死の道」で、《神は御自分に逆らう者の神ではなく、御自分に忠実な者の神》という意味です。
エゼキエル18章「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は仰せになる。彼が悪から立ち帰って生きることを喜ばないだろうか。お前たちが犯した全ての背きを投げ捨てて新しい心と霊を造り出せ。どうしてお前たちは死んでよいだろうか。お前たちは立ち帰って生きよ。わたしは誰の死も喜ばない」。
(注)別エントリー「キリストの福音は悪意の放棄を要請する」も参照のこと。
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ルカ19章9節以下「今日、救いがこの家を訪れた。人の子は、失われたものを捜して救うために来た」二ペトロ3章15節「わたしたちの主の忍耐深さを救いと考えなさい」同9節「主は救いの約束を遅らせているのではなく、一人も滅びずに皆が悔い改めるように、あなたたちのために忍耐されています」。
(注)別エントリー「『罪人を招く』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19089
【問】ヨハネ8章51節「わたしの言葉を守れば決して死ぬことがない」の意味は?
【答】マタイ7章12節のキリストの律法(あなたが他の人にしてもらいたいことを、あなたから他の人にしなさい)を忠実に実行するならマタイ25章の最後の審判で永遠の命にあずかり天国の福楽に達するという意味です。
(注)別エントリー「試論:永遠の命(=天国の福楽)を140文字以内で」も参照のこと。
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