試論:コヘレトの言葉「空しい」を140文字以内で

【問】『コヘレトの言葉』では「空しい」と繰り返されますが、一体何と比べて「空しい」というのですか?
【答】それは12章5節「永遠の家」で主イエスはヨハネ14章2節で「わたしの父の家」マタイ25章34節で「天地創造の時からあなたたちのために準備されている国」とそこを呼んでおられます。

(注)別エントリー「試論:人間の完成形(最終形態)を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

【問】『コヘレトの言葉』は読者にニヒリズム(虚無主義)を勧めていますか?
【答】いいえ、全く違います。むしろ12章13節で「神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間の全て」と説き、同章5節「永遠の家」への希望と憧れを抱くよう強く勧めます。箴言8章13節「主を畏れるとは悪を憎むこと」。

ルカ23章42節で善き盗賊は、主イエス・キリストに属する民がいる場所を「あなたの御国」と呼んだ。そこを主御自身は続く43節で「楽園」と呼ばれた。主イエスは御受難と御復活との間に「新しい天・地・エルサレム」と呼ばれる場所を創造され、御自身と御自分の民の「復活の体」もまた創造された。

(注)別エントリー「試論:キリストの『バシレイア』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15833

(注)別エントリー「試論:新しい天・地・エルサレムを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16733

(注)別エントリー「試論:『王』と呼ばれる意味を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはマタイ17章の「主の変容」で、三人の使徒に、「天上の体」(一コリント15章40節)すなわち死者の復活後の人間の姿(同章35節以下)をお示しになったが、当時三人の使徒は全く理解できなかった。同2章9節「人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は愛する者たちに準備された」。

(注)別エントリー「試論:ルカ9章『主の変容』を140文字以内で」も参照のこと。
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「家と体はともに自身にとっての住まい」として両者を重ねる古代のヘブライ人の世界観を踏まえれば、主がヨハネ14章2節以下で仰せになった「あなたたちのために準備する住む場所」とは、「天から与えられる住みか」(二コリント5章1節)すなわち、「天上の体」(一コリント15章40節)を指す。

(注)別エントリー「試論:『霊の帰還』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ14章2節〜3節「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたたちのために場所を用意して、あなたたちを迎える」二コリント5章1節「わたしたちは、神によって建物が備えられていることを知っています。人の手によるものではない、天に備えられている永遠の住みかです」。