マルコ5章42節のギリシア語本文には、「驚き」を意味する語が二つ用いられている。ヤイロの娘に関して人々は寝たきりのイメージしかなく、少女が歩く姿を見た者はあまりいなかったようである。「あの寝たきりの女の子も、とうとう亡くなったか」と思われていた少女が歩く姿は、二重の衝撃であった。
【追記】
主はマルコ5章で少女を生き返らせたが、マタイ9章23節以下では既に笛吹き等の葬儀の準備に集まった人々がいて「少女は眠っているだけ」という主の仰せを嘲笑った。主はルカ20章38節「神は生きている者の神。全ての人は神によって生きている」の通り少女を生き返らせ、御自分の神性を示された。
主はヤイロの娘の死に、「子供は死んだのではなく眠っているだけ」と仰せになり、人々から嘲笑された。主は子供の両親と三人の弟子だけを伴い、重々しい物言いではなく、病気がちの子供でも理解できる親しみやすい言葉を少女に掛けられた。真の神は、あえて人々に大見得を切る必要などないからである。
主はマルコ5章でヤイロの娘を生き返らせた後、食べ物を彼女に与えるように仰せになった。これは、後に御自身が御復活されて弟子たちの前に御出現になった際(ルカ24章)に、一切れの魚を持って来させ食べられたことと同じで、亡霊を見ているわけではないことを人々に理解させるための仰せであった。