試論:ペトロの「自分の十字架」を140文字以内で

ペトロは『ヨハネ』最終章で、主イエスから弟子たちの牧者であることを再確認され、鶏が鳴く前に三度主をを知らないと誓った時の弱く不安定な自分を捨てることが出来たが、それでも毎朝、夜明けと共にどこかで鶏が鳴くのが聞こえる度に、あの日の狂おしいばかりの自己嫌悪の記憶が蘇りそれに苛まれた。

(注)別エントリー「試論:『自分の十字架』とペトロを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12304

【追記】

主イエスはルカ9章23節で、弟子となる者は自分の十字架を背負って、従って来るべきだと仰せになった。初代教会時代、新しく信者になろうとする人々がペトロに「あなたにとっての『自分の十字架』は何ですか?」と質問したなら、恐らく「鶏が鳴く前に三度主を知らないと言ったこと」と答えただろう。

(注)別エントリー「試論:ペトロの生涯を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10550