主はマルコ3章35節で「神の御心を行う人こそわたしの兄弟・姉妹・母」と仰せになった。聴衆の男性は、自分に「兄弟」の資格はあるかと考えたであろう。また女性は、自分に「姉妹」の資格はあるかと考えたであろう。「母」の資格がある女性はルカ1章43節「わたしの主のお母さま」ただ一人である。
(注)別エントリー「試論:『母マリアだけ別格』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10305
(注)別エントリー「マリアを『神の母』と呼ぶ聖書的根拠」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4492
(注)別エントリー「試論:『神の母であること』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
主イエスは、マルコ3章35節で「天の御父の御心を行う人こそわたしの兄弟・姉妹・母」ヨハネ14章23節で「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。御父はその人を愛され、御父とわたしはその人のところへ行き一緒に住む」と仰せになり、主イエス御自身の御言葉こそが信仰の核心だと御説明された。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ1章38節「わたしは主のはしためです。御言葉通り、この身になりますように」マタイ12章50節「わたしの天の父の御心を行う者は誰でも、わたしの兄弟・姉妹・母」ヘブライ10章7節「わたしは来ました。神よ、御心を行うために」ヨハネ2章5節「この人の言いつけには、万事従って下さい」。