試論:箴言4章18節「光」を140文字以内で

養父ヨセフはマタイ1章19節でディカイオス(正しい人、義人)と呼ばれる。古代ギリシア語訳箴言4章18節はディカイオスに「光」が伴うと説き、善きサマリア人の喩えは自分を義化したい律法学者に神の義と隣人愛は同一と教える。イザヤ58章は心配りに「光」は伴うと説く。神の義に「光」は伴う。

【追記】

【問】イザヤ58章6節以下では、困窮している人々に対する心配り・善意・温情・憐れみの心が「光」に喩えられていますが、なぜ?
【答】それらが相手の表情と心とを明るくさせ、また、それらが相手の心を、光が熱を与えるように温かくさせるからです。マタイ5章16節「あなたの光を輝かせなさい」。

一人の律法学者は自分を「義化」(ルカ10章29節)しようとして(「義人」(マタイ1章19節)とするために)、隣人愛(ルカ10章27節)に関して、主に、踏み込んだ質問を行なった。主は、憐れみの心(33節)と「神の義」と隣人愛と永遠の命(25節)は事実上重なっているとお教えになった。

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008

主イエスはヨハネ6章40節で「御父の御心は、御子(=主イエス御自身)を見て信じる者が皆、永遠の命を得ること」だと説かれた。ルカ10章25節で一人の律法学者が「永遠の命を受け継ぐにはどうすれば〜」と質問したことから、主イエスは「善きサマリア人」の話で憐れみの心の重要性を教えられた。

(注)別エントリー「善きサマリア人:律法の専門家が質問した動機とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4544