試論:「言うだけで実行しない」を140文字以内で

【問】主イエスはなぜマタイ23章で律法学者たちやファリサイ派の人々を厳しく批判されましたか?
【答】その理由は「彼らは言うだけで実行しない」(3節)と説明されています。旧約の民は詩編12節にある通り本来、言行不一致の人々や面従腹背の人々の中には、信仰の存在を認めてはいませんでした。

【追記】

主イエス・キリストは、御自分に向かって「主よ、主よ」(マタイ7章21節)と言う者が「天の国」に入れなくなってしまう場合の理由として、「不法を働く」(23節)「不義を行う」(ルカ13章27節)を挙げられて、「狭い門」「命に通じる門」(マタイ7章13節、14節)の意味を御説明された。

(注)別エントリー「試論:『狭い門』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5628

(注)別エントリー「試論:『主よ、主よ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5380

(注)別エントリー「試論:『わたしは命である』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11586

(注)別エントリー「試論:なぜ『わたしは命』?を140文字以内で」も参照のこと。
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主はマタイ18章で、「心を入れ替えて子供のようにならなければ決して天の国に入ることはできない」(3節)また「自分を低くして子供のようになる人が天の国では一番偉い」(4節)と仰せになられ、「心を入れ替える」「自分を低くする」の二つが子供のようになるために必要な事柄であると説かれた。

(注)別エントリー「試論:『十字架が象徴するもの』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7585

(注)別エントリー「試論:キリスト教の日々の十字架を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7590