主イエスはヨハネ4章でサマリア人の女性に飲み水を求められたが、10節で「生きた水」に言及された。サマリア人たちも「生きた水」とはレビ14章や民数記19章で清めの儀式に用いられる新鮮な流水だと知っており、主イエスは相手の女性の心に「あなたには清めるべき何かがある」と問い掛けられた。
【追記】
モーセの律法(レビ記14章など)では清めの儀式に用いる流水を「生きた水」と表現していた(新共同訳は「新鮮な水」)。勢いの良い流水は、澱んで濁った水と違い、清めの儀式に相応しい新鮮な清い水であるが、ヨハネ7章38節で主は、人間を清いものとする聖霊の賜物を「生きた水」にたとえられた。
(注)別エントリー「試論:『水と御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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