フィレモンへの手紙」カテゴリーアーカイブ

試論:「長老のヨハネ」を140文字以内で

十二使徒も次々に帰天して恐らく最後にヨハネ一人だけとなった時までに、彼は「使徒」の自称を控え自身への権威集中を避けたと推測され、後進が育って「監督(司教)」と「長老(司祭)」の時代に完全移行するよう促進するためか、彼は「監督」にさえならずに、単なる一人の「長老」として、帰天した。

【追記】

ペトロとパウロの死後に世界のキリスト信者から「最後に生き残っている使徒で主の愛弟子ヨハネこそ全世界のキリスト信者の代表にふさわしい」と声が上がったに違いない、と現代人は考える。世間的にはそれが正解だが、個人の絶対的カリスマに頼る組織は、カリスマが亡くなれば、そこで終わってしまう。

後半生のヨハネは伝承ではエフェソを拠点にしていたとされるが、エフェソの初代の監督(司教)はテモテ、二代目はオネシモだった。ペトロの後継者のローマの監督(司教)はリノス(二テモテ4章21節)だった。晩年のヨハネは裏方に徹したが、自分の死後に信者が四分五裂しないようにするためだった。

主の御受難の際、十字架を囲んで主の死を見届けたのは聖母マリア、クロパの妻マリア、ヨハネの母サロメ、マグダラのマリア、そしてヨハネだった。女性たちは「使徒などといっても肝心な時には逃げる意気地なしだから、私たちが代わります」とは言わずに、裏方に徹し続け、ヨハネも同様に裏方に回った。

福音書は主イエスの「兄弟姉妹」の存在を記すが、主は御受難の際、母を弟子ヨハネに託された。古代イスラエルでは師の死後その母の面倒を見るのは本来、弟子でなく遺族の責務である。ヨハネは自分の母を「母の姉妹」(ヨハネ19章25節)と記す。古代イスラエルで「兄弟姉妹」は親族全般を意味した。

(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1451

主は御受難の際、ヨハネに母を託された。このことで聖母には主以外に子がないとわかるが、ルツ記のように「近くの他人より遠くの親戚」の聖書世界では愛弟子というだけで師の母親を引き取るのは不自然で、ヨハネの母が「母の姉妹」(ヨハネ19章25節)つまり聖母の親族である蓋然性は否定できない。

ヨハネは大祭司が自分の存在を認識していた(ヨハネ18章15節)と記す。大祭司がガリラヤの漁師の息子をなぜ、認識していたのか? 理由として可能性が大きいのは、ヨハネの母が聖母の母アンナやエリサベトと同様、祭司族出身の女性だったためと推定され、母方が祭司族という点で、皆が遠縁だった。

跡取りを産む前に夫に先立たれたルツは、申命記25章の規定に従って、亡夫マフロンの「兄弟」ボアズと再婚したが、このボアズはマフロンとは父も母も異なっていた。古代イスラエルにおける「兄弟」という概念が、父や母を同じくする同胞のみならず、広く親族全般を含んでいたことは、歴然としている。

ルツ記の主人公であるルツは、最初の夫マフロンとの間に跡取りを産む前に夫に先立たれ、のちに申命記25章の規定に従ってマフロンの「兄弟」ボアズと再婚したが、このボアズは亡夫マフロンとは父も母も異なっていた。マフロンの父はエリメレク、母はナオミで、ボアズの父はサルマ、母はラハブである。

(注)別エントリー「試論:『母ラハブと息子ボアズ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19498