ルカ9章25節「全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり失ったりしては、何になろうか」同4章5節以下「悪魔は全世界の国々を見せて言った、『もしわたしを拝むなら、これらの国々の全権力と栄華を与える』。イエスはお答えになった、『あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えなさい』」。
(注)別エントリー「試論:『あらゆる貪欲に対して』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
主イエスはルカ12章15節で、どのような種類の貪欲に対しても十分に目を光らせ、心を奪われてはならないと警告された。同16章13節「あなたたちは、神と富のどちらか一方にしか仕えることができない」マタイ13章22節「茨の間に落ちた種とは、御言葉を聞いても世の思い煩いや富の誘惑が〜」。
(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
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ルカ16章13節「神と富の両方に仕えることはできない」黙示録18章7節「わたしは女王の座に着いており、やもめではなく、決して悲しい目には遭わない」同3節「彼女の豪勢な贅沢により地上の商人たちは、富を築いた」哀歌1章1節「やもめとなってしまったのか、多くの民の女王であるこの都が」。
(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
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主はマタイ13章45節以下で、「天の国」を全財産と引き換えにしてでも手に入れるべき真珠にたとえられた。最後の審判を踏まえるなら「天の国」は「永遠の命」と同義だが、「もし『永遠』とは何かを理解したならば、人々はあらゆる努力で自分の生活を改めるでしょうに」(ファティマの聖ヤシンタ)。
(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:黙示録20章の最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『第二の死』を140文字以内で」も参照のこと。
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