創世記5章24節はエノクが神と共に歩み続けた結果、神が彼を地上から連れ去ったと記す。神の御独り子が生贄の小羊として屠殺される定めと知りながら母となることを承諾した女性が、「人となられた神」である御子イエスと共に歩み続けた親密性において、よもやエノクに引けを取るなど全くありえない。
(注)別エントリー「試論:『神の小羊』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
もし仮にそれが名もない女性だったとしても、人となられた神のために、ただただ手料理を三十年前後もの間、作り続けた女性がもしも実際に存在したとするならば、その一事のみをもって、その女性は全世界から崇敬を集めるに値する。まして彼女は、裁縫も洗濯も掃除もその他全ての神の家の家事を行った。
(注)別エントリー「試論:『地上の星』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11997
主イエスは福音書で「自ら高ぶる者は低くされ、へりくだり自ら低くなる者は高くされる」と繰り返された。神の御独り子の母に選ばれたにもかかわらず「わたしは主のはしため」と繰り返し実際「人となられた神」に生涯仕え続けた女性が、「神と共に歩んだ」点においてエノクに引けを取るなどありえない。
(注)別エントリー「試論:『謙遜の極み故の被昇天』を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】「主のはしため」とは、《神の御独り子の母》になる女性の自称としては何か物足りない気がします。
【答】イザヤは、救い主が「主の僕(しもべ)」として来られることを彼の預言書のいたるところで語りました。「主のしもべ」の母になると決意した女性の自称は、「主のはしため」が最も妥当です。
(注)別エントリー「試論:『主の僕(しもべ)』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主の僕の忍耐』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の小羊』=『主の僕』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8876
「救い主」が世を救われる方法に関しイザヤは、「小羊」(53章7節)つまり代価として御自分をささげ、「しもべ」(42章、49章以下等)として人々に仕えると預言し、主もマタイ20章28節でそれを宣言された。救い主の母となることを承諾した女性が「主のはしため」を称するのは象徴的である。
(注)別エントリー「試論:『しもべ』と『はしため』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9785