試論:「救い主と赦し」預言を140文字以内で

エレミヤ31章33節では救い主が「御自分の律法」をモーセの律法に替えて人々に授けると預言し、続く34節では救い主は人々に赦しを与える存在と預言する。主イエス・キリストは、ルカ7章48節に見られるように人々に赦しをお与えになり、また御自分の律法(マタイ7章12節)をお授けになった。

(注)別エントリー「試論:『主によって教えられる』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:キリスト教の基礎を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

ルカ2章11節は救い主がお生まれになったと記す。1章77節は「罪の赦しによる救い」の預言を記す。救い主イエス・キリストは6章37節で「あなたが他人を赦すなら、あなたも赦される」また「あなたが他人を罪人と決めつけないなら、あなたも罪人と決めつけられることがない」等々と仰せになった。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスは旧約聖書の預言に関して、第一義的に御自分及び御自分の到来前後の歴史的諸事件への言及であり(ルカ24章27節、同44節、ヨハネ5章39節)、エルサレム滅亡(紀元七〇年)で預言は全て成就すると仰せになった(ルカ21章22節)。旧約聖書は21世紀の国際情勢とは全く関係がない。

(注)別エントリー「試論:キリスト教と旧約聖書を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4783