試論:「南の王」とユダヤ人を140文字以内で

ダニエル書が「南の王」と預言したエジプトのプトレマイオス王朝は、アレクサンドロス大王亡き後エジプトだけでなくユダヤをも領有した。バビロン捕囚からの帰還以降はエルサレムと周辺地域で二百年以上定住していたユダヤの人々は、人口増加が著しく、「南の王」はユダヤ人のエジプト移住を奨励した。

【追記】

エジプト移住を奨励した「南の王」は、自国内に住むユダヤ人にギリシア人と同等の権利を与えたため、ユダヤ人はモーセの時代のような苦しみを味わうことなくエジプトで平穏に生活することができた。福音書の時代には全世界でユダヤ人の人口が多い地域はユダヤ本土やガリラヤにエジプトが続く程だった。

古代ローマの将軍カエサルはエジプト遠征で政敵ポンペイウスを打倒し女王クレオパトラの愛をも勝ち得たが、かつてポンペイウスがエルサレム神殿の聖所に侵入したことを恨んでいたユダヤ人の多くはカエサルに協力した。カエサルはエフェソ等の諸都市でユダヤ人が不利なく市民生活を送る権利を保障した。

(注)別エントリー「試論:『クレオパトラとヘロデ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15063

ローマの将軍ポンペイウスは神殿で大祭司しか入れぬ場所(レビ16章)に入り、ユダヤに衝撃が走った。ポンペイウスをカエサルが打倒し彼はユダヤ人に気前よく諸権利を与えたが、エジプトの女王を愛人としたことも含めて同胞から王様気取りだと疑われ、暗殺された。彼の死をユダヤ人は非常に悲しんだ。

(注)別エントリー「試論:異邦人が見たユダヤの神殿を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5716

エジプトに滞在中の聖家族はユダヤ人の共同体の中で生活したと考えられるが、エジプトのユダヤ人はいわゆる「ギリシア語を話すユダヤ人」で、ヨセフとマリアは家庭内ではヘブライ語もしくはアラム語を使用したにせよ、他のユダヤ人たちとはギリシア語で会話しなければ、エジプト暮らしは困難であった。

イドマヤ出身の重臣の身ながら王家の内紛に乗じユダヤの王位を奪ったヘロデを、エジプトの女王はひどく忌み嫌った。ヘロデは女王がユダヤに立ち寄る際の謀殺を目論んだが成功してもローマの追及は必至と周囲に説得され断念した。女王と愛人アントニウスはローマの内戦で敗死し、ヘロデは事無きを得た。

(注)別エントリー「ダニエル書7章:地上に興る第四の王国」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4631

ヘロデ家(ユダヤ教に改宗したイドマヤ人)はハスモン家(元来は祭司族出身)から王位を奪ったが、両家ともダビデの子孫ではなく、ミカ書のメシアの条件とは違った。ヘロデ王やエルサレムの人々の不安は、東方の博士たちの言葉の意味を王位争いの新たな火種としか理解できなかったことに由来していた。

(注)別エントリー「試論:『なぜダビデの子なのか』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ダビデ王家とガリラヤを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15011

古代のユダヤ人は王位に相応しいのはダビデの子孫と考えていた(サムエル下7章)。しかし紀元前二世紀に、ユダヤ独立の英雄ユダ・マカバイの一族(ハスモン家)が王位に即くようになると、ダビデの子孫の立場は微妙になりユダヤ人がガリラヤを征服した後、ある人々はガリラヤへと移住する道を選んだ。

(注)別エントリー「福音書の時代におけるガリラヤ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2354

預言者イザヤの時代にサマリアが陥落後、アッシリアがガリラヤを占領し、住民は東方に連行され代わりに異邦人が住み着いた。六百年以上後(主の御降誕の約百年前)にユダ・マカバイの一族がガリラヤを征服した後、多数のユダヤ人がガリラヤに入植して異邦人の影響は一掃され主イエスの到来へと至った。

(注)別エントリー「主イエス・キリストがインマヌエルである理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1338