【問】一ヨハネ1章1節「命の言(いのちのことば)」って何のこと?
【答】「命」はヨハネ14章6節の通り主イエス・キリストを指し、「言」(ヨハネ1章1節)も《神の御言葉》、すなわち《天使や預言者を介してではなく直に人々に御教えをお話しになる神》で神の御独り子である主イエスを指します。
(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「《御父》と《御子》との関係性」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『福音に禅問答などない』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
【問】それでは、主イエスが自称された「命」とはどんな意味?
【答】申命記30章15節の通り、旧約の民は「命」という言葉で、幸福・安堵・充足等の人間を生かすものの全てを総称しましたが、ヨハネ14章6節で主イエスは、人間に「命」を授ける源は唯一の神すなわち御自分であると宣言されました。
(注)別エントリー「試論:『わたしは命である』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『命の木』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章4節『命の光』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ1章1節は主イエスを「言(ことば)」と呼ぶが、一ヨハネ1章1節は「命の言」と呼ぶ。申命記8章3節の通り、主は御言葉で命を与えるが、ヨハネ17章3節では「知る」という表現で「永遠の命」を説明し、一ヨハネ2章3節では「知る」とは「掟(ヨハネ13章34節)を守る」ことと説明する。
(注)別エントリー「試論:主イエスと申命記8章を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「『永遠の命』と『新しい掟』」も参照のこと。
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