試論:「笛吹けど踊らず」の意味を140文字以内で

マタイ22章14節「招かれる者は多く選ばれる者は少ない」の<選ばれない理由>をイザヤ65章12節は「呼んでも答えず、語りかけても聞かず、わたしの目に悪とされることを行い、わたしの喜ばないことを選んだからである」と記した。「笛を吹いたのに踊ってくれなかった」(マタイ11章17節)。

(注)別エントリー「試論:『笛は吹かれたけれども』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8056

(注)別エントリー「試論:『神は誰を選ばれるのか』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8051

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008

【追記】

古代のギリシア語旧約聖書は「角笛」(新共同訳)と訳されるヘブライ語に対して、新約聖書本文中では「ラッパ」(新共同訳)と訳されるギリシア語を当てている。ヘブライ12章19節で言及される「ラッパ」はシナイ山の出来事と関連し、出エジプト19章や20章で言及される「角笛」に対応している。

黙示録1章10節や4章2節は、ラッパのように響く大声という表現を用いる。1章ではヨハネが声の主(ぬし)を確かめようと振り向き「顔は強く照り輝く太陽のようであった」(16節)ことで「主の変容」を思い出し、主の「天上の体」を目撃する。ラッパは神の威厳に満ちた力強い御声のたとえである。