ルカ2章は主の奉献の後、一家がナザレに帰ったと記す。確かに帰るには帰ったが数年を要した。ヘロデの迫害によるエジプトへの逃避の後、ヘロデの死に乗じてガリラヤのユダが反乱を起こしたためで、このユダはローマの住民登録に敵意を燃やし、ナザレから数キロの中心都市セフォリスを焼き討ちにした。
(注)別エントリー「試論;エジプトへの逃避と聖家族を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8912
【追記】
マタイ2章は夢に現れた天使の指示通りヨセフが聖母子を連れてエジプトに逃げたと記す。イスラエル〜エジプトの道は歴史的にも地理的条件からも極めて治安の悪い地域と見なされてきた。幼子とその母を連れての冬の旅は尋常ではあり得ず、ヨセフの単に堅実なだけでなく冒険をいとわない人柄を示唆する。
(注)別エントリー「試論;エジプトへの逃避とヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13908
使徒言行録5章37節は「ガリラヤのユダ」が反乱の指導者となり滅びたと記す。ヘロデ大王死後の混乱に乗じて勢力を拡大した彼は、ローマの住民登録への反対を掲げ、登録した者を親ローマ派と見なして敵視した。彼の滅亡を確かめた上で(マタイ2章20節)、聖家族はエジプトから帰還したはずである。
(注)別エントリー「試論;一世紀ユダヤの反乱や暴動を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6423
マタイ2章は暴君ヘロデ大王の後継者としてアルケラオの名を記す。ヘロデを恐れて沈黙していたユダヤの人々は、その死後いっせいに不満の声を挙げアルケラオは為す術を知らなかった。ローマ帝国は彼を不適格者と判断してユダヤからガリラヤを切り離し(マタイ2章22節参照)、最終的に彼を追放した。
(注)別エントリー「試論;黙示録17章『第八の者』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論;黙示録の『第八の者』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12097