ルカ7章36節以下は「罪深い女」が主イエスのために香油を惜しげもなく注いだと記し、ヨハネ12章は酷似した出来事があったことを記す。ユダは自分の盗みを棚に上げてベタニアのマリアを非難した。ユダは自身が信仰を失っていたにも関わらず、他人を批判できる時には急に活気付いてマリアを責めた。
(注)別エントリー「試論:『正論を装った悪意』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11241
【追記】
レビ19章18節は隣人愛の掟を記すが、15節は貧者救済の理由であろうと判断を惑わされてはならないと説く。ヨハネ12章でイスカリオテのユダが貧者救済を理由にベタニアのマリアを攻撃した際、主イエスはユダの言葉が貧者救済を口実にした単なる言い掛かりに過ぎないと見抜かれ、女性を擁護した。
(注)別エントリー「試論:『人間を照らす光』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7227