レビ19章18節は隣人愛の掟を記すが、15節は貧者救済の理由であろうと判断を惑わされてはならないと説く。ヨハネ12章でイスカリオテのユダが貧者救済を理由にベタニアのマリアを攻撃した際、主イエスはユダの言葉が貧者救済を口実にした単なる言い掛かりに過ぎないと見抜かれ、女性を擁護した。
(注)別エントリー「試論:『人間を照らす光』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
モーセの姉ミリアムと兄アロンは、モーセの妻が異民族出身だという口実でモーセに正論を装った難癖をつけ、主なる神の御怒りに触れてミリアムは「重い皮膚病」となった。兄弟を陥れることが目的の濡れ衣は、兄弟愛に背くものとして主なる神が大いに忌み嫌われる行為であり、厳しい罰を伴うものである。
(注)別エントリー「民数記12章3節:モーセの人となり」も参照のこと。
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主はルカ17章1節で「つまずきは避けられないがそれをもたらす者は不幸だ」と仰せになった。レビ19章17節は悪意を抱いたまま隣人に接することを禁じ、箴言26章27節は他人を落とす穴を掘る者は自分がそこに落ちると記し、民数記12章でモーセに難癖をつけたミリアムは厳しく主に罰せられた。
(注)別エントリー「試論:『穴を掘る』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『理由のない憎しみ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6468
(注)別エントリー「試論:『つまずき』を140文字以内で」も参照のこと。
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二テモテ3章でパウロは「終わりの時」の人々の姿を記した。自分本位で金銭を愛し、嘘をつき、神を畏れず嘲り、両親に従わず、恩知らずで、他人を侮り、情け容赦なく、強情で、中傷し、節度がなく、残酷で、善を行わず、裏切り、軽率かつ高慢、信仰を装いつつ実際は快楽を愛し、事実上は棄教している。
(注)別エントリー「試論:『滅びに通じる門は広い』140文字以内で」も参照のこと。
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エフェソ4章の後半以降(17節以下)では、洗礼を受けた人が取るべき(また避けるべき)態度を教える。悪態をつき、無慈悲で、平然と悪口を言い、思う通りにならないと大声で喚き、怒鳴り散らし、相手が幼子や女性だと小馬鹿にして勝ち誇る人がいたとして、誰が彼のことを信者だなどと思うだろうか?
マタイ18章6節で主は「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて深い海に沈められる方がましである」と仰せになり、子供のような心で神を信じている人に悪を教え込もうとする者に対して、神がとりわけ厳しい罰をもって臨まれることを、主は宣言された。
イザヤ59章2節「あなたたちの悪こそが、神とあなたたちの間を隔て、あなたたちの罪こそが、神の御顔を隠させ、神があなたたちに耳を傾けられるのを妨げている」ヨハネ14章24節「本当はわたしのことなど愛してはいない者は、決して御父とわたしの言葉や掟を受け入れはせず守ろうなどとしない」。
(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
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主はマタイ18章6節以下で、無垢な信仰を持つ子供をつまずかせる者は不幸であり厳罰は必至だと示唆された。詩編37編23節以下は主が御旨にかなう道を人間のために準備され、また人間の手をとらえ歩みを定めておられると記す。子供をつまずかせる(御旨から外れさせる)行為は絶対に容認されない。
マタイ22章14節「招かれる者は多く選ばれる者は少ない」の《選ばれない理由》をイザヤ65章12節は「呼んでも答えず、語りかけても聞かず、わたしの目に悪とされることを行い、わたしの喜ばないことを選んだからである」と記した。「笛を吹いたのに踊ってくれなかった」(マタイ11章17節)。
マタイ22章14節「神から招かれる者は多いが、そこから神によって選ばれる者は少ない」箴言3章34節(ヤコブ4章6節、一ペトロ5章5節)「神は高慢な者には敵となられる。へりくだる者には恵みをお与えになる」ルカ1章48節「身分の低い、この主のはしためにも、神はその御目を留められた」。