ヨハネ2章17節は詩編69編10(9)節の「あなたの家(=神殿)を思う熱意がわたしを食い尽くす」を引用する。月食や日食のように「食」は他のものが覆う意味もある。故に「熱意が食い尽くす」とは、《熱意が心を覆い尽くす》《熱意に呑み込まれる》《熱意に強く突き動かされる》等の意味である。
【追記】
主イエスはイザヤ28章16節や詩編118編22(21)節を踏まえて御自分を「隅の親石」と呼ばれた。ヨハネ2章17節の通り「家」は神の家つまり神殿を指す。「あなたたち民の指導者は神殿の拡張工事には熱心(同章20節「四十六年」)でも救い主を邪魔者扱いするが、わたしから救いは始まる」。
(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13267
過越祭には過越の小羊が不可欠だった。祭のために世界中から都に集まる古代のユダヤ人は、羊を連れて旅するわけにもいかず羊を現地調達した。世界中のユダヤ人からも集められた神殿税は過越の小羊の準備にも当てられたが、それの度が過ぎて神殿の境内が家畜市場の様相を呈していた有様に主は憤られた。
(注)別エントリー「試論:『身代わりの羊』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9046
《体も家も自身にとっての住まい》(ヨブ4章19節参照)として「体」と「家」とを重ねるヘブライの世界観を踏まえ、主イエスは、《人となった神の子である自身の体》と《神の家=神殿》を重ね「三日で建て直して見せる」と宣言されたが、イエスを冒瀆者として葬り去ろうとした人々には通じなかった。
(注)別エントリー「試論:マタイ21章42節『家』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15057