【問】主イエスはマタイ11章13節で〔旧約〕聖書の預言はヨハネの時までと仰せですが、ルカ24章とヨハネ5章39節では〔旧約〕聖書は御自分について証ししていると仰せです。
【答】「ヨハネの時」には洗礼者自身が預言した内容、つまり救い主の到来と差し迫った神の怒りまでが、含まれています。
(注)別エントリー「試論:ヨハネ5章39節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:預言解釈の基本を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『滅びを避けるには』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
【問】洗礼者が預言した「差し迫った神の怒り」(マタイ3章8節)とは何ですか?
【答】主イエスも数年後にルカ21章20節で予告されたエルサレム及びユダヤの滅亡のことで、この予告は洗礼者の預言の四十数年後、紀元七〇年に成就しました。この滅亡は、ダニエル9章の預言でも啓示されていました。
(注)別エントリー「戦争と飢餓:ある意味で実戦よりも残酷な」も参照のこと。
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(注)別エントリー「ダニエル9章の『七十週』預言」【再投稿】も参照のこと。
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(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
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