試論:福音書と私的啓示を140文字以内で

ヨハネ1章の「言(ことば)」つまり神の御言葉とは、「御自分で人々に御言葉を仰せになる神」主イエスを意味する。主が人々に直接お伝えになりたかった事柄があれば、必ず公生活中に仰せになったはずで、福音書より重要な内容が私的啓示に含まれているはずだという考えは、信仰を失う端緒となりうる。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖書と私的啓示を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:反キリストの霊を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5217

(注)別エントリー「試論:反キリストを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:福音書からそれていくことを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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