箴言6章16節は「主の憎まれるものが六つ、心からいとわれるものが七つ」と記し17節は筆頭に「驕り高ぶる目」を挙げるが、古代ギリシア語訳は「〔相手を〕侮辱する目」と表現する。この預言は、主がローマ総督の居城にて兵士たちに侮辱(マタイ27章29節)されリンチを受けた際に現実となった。
【追記】
【問】マリアやヨセフはどんな人でしたか?
【答】主イエスはマタイ11章19節とルカ7章35節で「知恵」を称されました。箴言8章12節以下の「知恵」の言葉「熟慮と一緒に住み知識と慎重さも備える」「高慢・驕り・悪の道・暴言を吐く口をわたしは避ける」が、主と主の両親の人柄と考えられます。
【問】箴言8章12節「知恵は熟慮と共に住む」とは?
【答】主イエスはルカ7章35節で「知恵」を称されましたが、養父ヨセフは婚約者の妊娠に際し熟慮して安易に相手を裁くことをせず、母マリアも羊飼いの訪問やシメオンの預言、御子が十二歳時の神殿での出来事等についてその意味を深く考えました。
(注)別エントリー「試論:『知恵』としての主イエスを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/20869
(注)別エントリー「試論:『知恵』を自称された理由を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/20999
(注)別エントリー「試論:『婚約者の妊娠』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/21032
主イエスは旧約聖書の預言に関して、第一義的に御自分及び御自分の到来前後の歴史的諸事件への言及であり(ルカ24章27節、同44節、ヨハネ5章39節)、エルサレム滅亡(紀元七〇年)で預言は全て成就すると仰せになった(ルカ21章22節)。旧約聖書は21世紀の国際情勢とは全く関係がない。
主はルカ21章22節でエルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると仰せになり、既にそれは紀元七〇年に現実となった。現代の世界情勢を安易に旧約聖書の預言に関連付ける発想は主イエスの仰せには合致しておらず、疑う余地なくこの発想はキリスト教的でなくキリスト教の外部に由来する。
(注)別エントリー「試論:非キリスト教的な預言解釈を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/21066