主イエスはルカ6章40節でどうすれば弟子は師のようになれるか教えられた。ギリシア語本文の動詞はマルコ1章19節「〔網の〕手入れをする」と同じで「破れがないか全体を確認し、あれば修繕し、付着物を念入りに除去し、十分に洗い、現場で使い物になる完全な状態まで仕上げる」という意味である。
【追記】
主はヨハネ15章2節で「わたしにつながっていても実を結ばぬ枝は全て御父が取り除かれ、実を結ぶ枝は全て御父がさらに豊かに実るよう手入れをなさる」と仰せになった。ヤコブ3章でも17節と18節に「実」が登場し、知恵・純真・温和・優しさ・従順・憐れみ・義・平和が特徴であることを説明する。
主イエスはヨハネ15章2節で「わたしにつながっていても実を結ばぬ枝は全て御父が取り除かれるが、実を結ぶ枝は全て御父がさらに豊かに実るように手入れをなさる」と仰せになり、ガラテヤ5章22節以下でパウロは「実」の具体例を、愛・喜び・平和・寛容・親切・善意・誠実・柔和・節制と列挙した。
シラ27章6節は「実を見れば木が手入れされているかどうか分かるように、人間が心の中で何を考えているかはその人の話を聞けば見えて来る」と説く。主イエスもルカ6章44節で「木はその結ぶ実によって分かる」と仰せになり、45節で「人間の口は、心からあふれ出ることを語る」と続けて語られた。
カインはアベルと違って献げ物となる作物を育てる際、手間暇をかけようとせず、ろくに手入れもせず、ただ自然に育ったがままの状態のものを献げた。それでいて神に目を留められなかったことで激怒し、そうなった理由を反省せず弟の意見を参考にしようとせず両親にも相談せず、神に質問すらしなかった。