出エジプトから数百年経ても、「旧約の民」の神への背信の度合いが第一神殿滅亡前にピークに達した時、エゼキエル書はエジプトの名前を出して非難した。バビロン捕囚から数百年経ても、第二神殿滅亡前に「旧約の民」の淫行つまり背信がピークに達した時、黙示録がバビロンの名前を出すのは当然である。
【追記】
古代のイスラエルでは「神」と「神の民」との関係がしばしば「花婿」と「花嫁」と表現された。しばしば「女王」にもたとえられる都が「花婿」キリストを歓呼と共に迎え入れながら、数日後に裏切り、夜中に急襲して捕らえ一日のうちに死に至らしめたその行状から、「大淫婦」と呼ばれるのは当然である。
(注)別エントリー「試論:『大淫婦』の正体を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15895
主イエスは旧約聖書の預言に関して、第一義的に御自分及び御自分の到来前後の歴史的諸事件への言及であり(ルカ24章27節、同44節、ヨハネ5章39節)、エルサレム滅亡(紀元七〇年)で預言は全て成就すると仰せになった(ルカ21章22節)。旧約聖書は21世紀の国際情勢とは全く関係がない。
主はルカ21章22節でエルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると仰せになり、既にそれは紀元七〇年に現実となった。現代の世界情勢を安易に旧約聖書の預言に関連付ける発想は主イエスの仰せには合致しておらず、疑う余地なくこの発想はキリスト教的でなくキリスト教の外部に由来する。
(注)別エントリー「試論:非キリスト教的な預言解釈を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/21066