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試論:キリストと「水」を140文字以内で

民数記20章11節「モーセが杖で岩を二度撃つと、水が迸り出たので皆で飲んだ」ヨハネ19章34節「兵士が槍でイエスの脇腹を刺すと血と水が迸り出た」一コリント10章4節「モーセ一行は皆、共におられた神に由来する超自然的な岩から、神の水を飲みましたが、この岩こそキリストだったのです」。

(注)別エントリー「試論:『水と根』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7416

【追記】

イザヤ11章9節は、「水」で満たすように「大地は主を知る知識で満たされる」と記す。しかし2節によれば「知恵」「識別」「主を知ること」等は全て「主の霊」すなわち聖霊の賜物である。つまり「水」は聖霊の賜物を象徴的(比喩的)に表現しており、12章3節は神なる主を「救いの泉」と表現する。

(注)別エントリー「試論:『聖霊の働きの識別』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10196