主イエスはルカ10章6節で、御自分の御教えを受け入れることになるであろう人を「平和の子」とお呼びになった。これは、イザヤ9章5(6)節が救い主イエスを「平和の君」と呼び預言していることを踏まえる。同様に、パウロは自分たちの神である主イエスを「平和の神」(フィリピ4章9節)と呼ぶ。
(注)別エントリー「試論:ルカ10章の『平和』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17745
【追記】
古代のヘブライ人にとって「平和」はあらゆる幸福の総称であり、「あなたに平和」はヘブライ人の挨拶の決まり文句だった。ルカ10章5節「この家に平和があるように」は、より長い形の挨拶(サムエル上25章6節)である。ヘブライ人は「平和に属する者」を言い表したい時に「平和の子」と表現した。
(注)別エントリー「試論:『地には平和』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8769
(注)別エントリー「試論:『平和を実現する人』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6272
(注)別エントリー「神の子らは人の娘たちを【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8636