ルカ1章17節の通り、本来、洗礼者の役割とは、救い主が来られる前に当時のイスラエルの人々に心の準備をさせ場を温めておくことだった。自分の前に来られた救い主の御姿を見た洗礼者は、救い主が活動を始められる以上、自分は表舞台から身を引くべき時が来たのだと悟った(ヨハネ3章30節参照)。
【追記】
イザヤ62章5節は「神と神の民」の関係を「花婿と花嫁」の関係にたとえたが、ヨハネ3章29節で洗礼者が「花婿の介添人」を自称する場合、「花婿」が主イエス・キリストであるのは、いうまでもない。洗礼者は、「花婿」と「花嫁」を引き合わせるまでが自分の役割と心得て、30節の言葉を口にした。
(注)別エントリー「試論:『洗礼者は花婿の介添人』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/22045