試論:「主イエスと信者の関係」を140文字以内で

【問】主イエスは《完全な神》が《完全な人間》を担われたということですが、主イエスとは信者から見てどんな存在ですか?
【答】主は「わたしたちの父」(イザヤ63章16節)なので神としての主は「父」、人間イエスは「兄弟」(マタイ28章10節)つまり、「長兄」(ローマ8章29節参照)です。

(注)別エントリー「『完全な神』が『完全な人間』を担われた」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:神であり人であるキリストを140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

【問】人間イエスは、「人類の長子」ですか?
【答】新約時代においてはローマ5章12節以下の通り、主イエスは「第二のアダム」という位置付けであり、同8章29節は「御子が多くの兄弟の中で長子となられる」、コロサイ1章18節は「御子は最初の者、死者の中から最初に生まれた方」と表現します。

【問】コロサイ1章18節が御子を「死者の中から最初に生まれた者」と呼ぶ理由とは?
【答】御子は十字架の死の後、御自身の「復活の体」の創造の際に「新しい天・地:エルサレム」(イザヤ65章17節以下)も創造され、待ち続けていた旧約の義人たちにも「復活の体」を与えられ誕生させたからです。

(注)別エントリー「主の御復活とともに創造された事柄とは」も参照のこと。
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【問】《神の御言葉》主イエスが人間になったとは、《神が人間を担われ(引き受けられ)た》と解釈すべきということですが、それでは、主イエスから見た人類とは、何になりますか?
【答】神の立場では「子」(マタイ9章2節)、人間の立場では(特に相手が信者なら)「兄弟」(同28章10節)です。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:主イエスと人類の関係を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ1章1節の「言(ことば)」、いわゆる《神の御言葉》とは、《御自分で御言葉をお話しになる神》、すなわち御子である神、主イエス・キリストを意味する。「言(ことば)は神とともにあった」とは、天地創造以前の初めから御子である神は御父である神とともに存在しておられたということである。

(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ1章1節は主イエス・キリストを「言(ことば)」と呼び紹介する。これは《天使や預言者を介することなく、御自分で直接人々に御言葉をお話しになる神》を意味し、「イエス・キリストなんか本当は実在しなかった」と言い立てる人々に対しては、主が残された御言葉それ自体がその存在証明となる。

(注)別エントリー「試論:『主が求められるものは』を140文字以内で」も参照のこと。
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