試論:「カイアファの『預言』」を140文字以内で

ラザロの復活を目撃したユダヤ人の多くはイエスを信じた。大祭司カイアファはユダヤの最高法院で「もしもイエスがダニエル9章の預言のメシアだとしても彼は死ぬ(同章26節)ことになっているのだから、イエスには死んでもらう」と、宣言した。ヨハネ11章51節は、これを「預言」だと記している。

(注)別エントリー「ダニエル9章の『七十週』預言」【再投稿】も参照のこと。
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【追記】

ヨハネ11章47節以下は最高法院がイエスの死を決めた経緯を記す。「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びずに済む方が皆には好都合」(50節)と大祭司カイアファは預言した。こうして、救い主は贖(あがな)いの業を行うこととなったが、カイアファの悪意が正当化されるわけでは、ない。

主イエスはマタイ7章21節以下で、信仰の目的とは、預言でも「悪霊を追い出すこと」でも奇跡でもなくただ「不法(悪)を行わないこと」であり、御自分が人々を評価するのは唯一そこであると断言された。預言や悪霊を追い出すことや奇跡にばかり目を奪われ過ぎるとイエス・キリストがわからなくなる。

(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『信仰』と『預言や奇跡』を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはルカ19章46節で「あなたたちは神殿を強盗の巣にした」と仰せになった。これは大昔に預言者がエレミヤ7章11節で啓示したことを踏まえているが、預言者は続く12節以下で、かつてのシロの聖所のように、エルサレムの神殿も滅亡すると啓示した。つまり主イエスもそれをほのめかされた。

(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
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(注)別エントリー「戦争と飢餓:ある意味で実戦よりも残酷な」も参照のこと。
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