【問】マリアが「主のはしため」と謙遜したのはエバのような野心がないと意思表示したとのことですが、他に理由は?
【答】箴言11章2節は「知恵は謙遜に伴う」と説きイザヤ11章2節は聖霊の賜物の筆頭に知恵を挙げます。ルカ1章35節「聖霊があなたに降る」にマリアは謙遜で承諾を表明しました。
(注)別エントリー「試論:『知恵は熟慮と共に住む』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/21356
(注)別エントリー「試論:『知恵』としての主イエスを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/20869
(注)別エントリー「試論:『知恵』を自称された理由を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/20999
【追記】
【問】なぜ受胎告知の際にマリアは、承諾の返答よりも先に「わたしは主のはしため」と再確認しましたか?
【答】マリアはそう前置きすることで、「わたしは神の御独り子の母となることを承諾しますが、決して『神のようになること』(創世記3章5節)を望むからではありません」と意思表示をしました。
【問】マリアは「わたしの主のお母さま」(ルカ1章43節)と呼ばれる女性なのに、なぜ「主のはしため」と謙遜したのですか?
【答】もしも彼女が「自分は救い主の母だから息子と同じ扱いを受けたい」と思い上がったなら、神のようになりたいと思ってサタンにだまされた、エバの二の舞になるからです。
(注)別エントリー「試論:「わたしの主のお母さま」を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10221